つむぐ 被爆者3564人アンケート 近藤ツネ子さん(96)
鏡に映った自分の姿を、16歳の少女は受け入れられなかった。
徳島県三好市井川町の近藤ツネ子さん(96)は今夏、広島への原爆投下から1カ月が過ぎた頃の記憶を記者の前で語った。
1945年8月6日朝、近藤さんは広島駅近くの広島鉄道病院1階で、診療受け付けの準備をしていた。「立派な看護婦さんになりたい」と徳島の親元を離れて2年4カ月、病院付属の看護師養成所で学んでいた。
その瞬間、フラッシュをたいたような閃光(せんこう)を感じた。ぐわんという耳が裂けるような大きな音が響き、窓ガラスが割れた。記憶があるのは、そこまでだ。
【3社合同企画】つむぐ 被爆者3564人アンケート
原爆投下から80年。朝日新聞、中国新聞、長崎新聞の3社は合同でアンケートを行いました。被爆者たちが私たちへ託した言葉をみる。
- 【詳報】被爆80年、アンケートに託された3564人の思い
気がつくと、木製の柱とコンクリートの床に挟まれて身動きできなくなっていた。
うっすらと差し込む光に向かって、必死にもがいた。外にはい出ると、白衣は血だらけだった。
目に飛び込んできたのは、変わり果てた町と人たちの姿だ。
広島鉄道病院は爆心地から約1・8キロ。木造の家屋の大半は吹き飛ばされ、路上には、出勤途中でまともに熱線や爆風を受けて顔かたちが変わった医師や先輩看護師らが倒れていた。
「助けを求められたが、どうすることもできなかった」
広島に知り合いはおらず、山…